ペットのために本当に必要な供養とは? -ペットの終活、という記事を読んで思ったことー

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「ペットの供養に決まりがあるわけではありません

 ただヒトの供養がいまこういうスタイルになっているので

 飼い主さんもそれをベースに、ペットの供養を考え

 悩まれてしまっているだけなのだと思います」

 

これは先日

とある方とペットの供養について話をした際に

とっさに自分の口から出たコトバです

 

今回こちらの記事を読んで改めて

この自分のコトバの意味を考え直しました

 

style.nikkei.com

 

記事では、さまざまなペットの終活や

供養に関わるサービスが取り上げられています

そしてそれらはみな

ヒトに向けたサービスをベースにしたものです

 

ペットの存在や家族という枠を超え

子どもに近い存在になっている現状では

ペットの供養や看取りが、ヒトのものに

近づいていくのは自然なことなのかもしれません

 

ただその一方で

わたしの中には本当にそれでいいの?

という想いがずっとありました

 

ヒトと同じようにすれば

ペットは本当に供養されるのか

それがペットにとっても

幸せな看取りに繋がっているのか

 

その想いが形になったのが

冒頭のコトバなのだと思います

 

ただその一方で

このやり取りの後で思ったのは

やはりそれでも亡くなった存在は

どこかで自分の中で手放すことが

必要となるのではないか?

ということでした

 

ここで言う手放すとは

その存在、サッパリと忘れてしまう

という意味ではありません

 

亡きペットを

亡き存在として自分の中で受け止め

その上で、亡き事を前提とした新たな関係を

自分の中で築いていくことです

 

ヒトの死や看取りを

多くの方がそのように受け入れられていくように

亡きペットの存在も

やはりそのように受け入れられていくことが

自然なのではないか

そしてそのタイミングが来た時に

自然と飼い主さんも

その想いに沿った行動を

取られるのではないか

そのように思っています

 

そしてその行動の中身がどのようなものかは

その飼い主さんによりそれぞれで

違ってよいはずです

 

ただそういう想いとは別に

ペットの看取りや供養の選択肢だけが

ただただサービスとして増えていくだけの現状には

わたしは大きな疑問を感じています

 

そうした飼い主さんに寄り添った

ペットの看取りや死に対するサポートが

提供されていくためのお手伝いを

わたしはしていきたいと

改めて思いました

 

by 管理人